総山孝雄—歯科医療の発展に貢献した先駆者
総山孝雄教授とは?
総山孝雄教授(ふさやま たかお)は、1916年(大正5年)8月7日に岐阜県美濃市に生まれ、2003年(平成15年)1月17日に亡くなりました。東京高等歯科医学校(現在の東京医科歯科大学)を1938年(昭和13年)に卒業し、一生を通じて歯科医療の発展に尽くした歯科医師です。
戦争を乗り越え、歯科医療の発展に貢献
総山孝雄教授は、卒業後すぐに軍に入隊し、通信将校として東南アジア各地を転戦しました。戦争が終わった後はインドネシア独立運動に関わるなど、波乱万丈の人生を歩みました。その後、日本に戻り、東京医科歯科大学の教授として後進を育てながら、日本歯科保存学会の会長なども務めました。
削らない治療のための「接着技術」
総山孝雄教授の最大の功績のひとつは、歯にしっかりくっつく「接着技術」を世界に先駆けて研究・開発したことです。昔の歯科治療では、むし歯を削るときに健康な歯まで大きく削る必要がありました。しかし、この接着技術のおかげで、むし歯の部分だけを取り除いて修復することが可能になりました。
この技術の進歩により、
- 治療の痛みが少なくなった
- 歯を削る量を最小限にできるようになった
- 詰め物が取れにくくなり、長持ちするようになった
- 見た目が自然な白い詰め物が主流になった など、多くの患者さんにとってメリットのある治療が実現しました。
歯科医療だけでなく、学問・文化にも貢献
総山孝雄教授は、歯科治療の現場だけでなく、学問の分野でも大きな影響を与えました。日本歯科医学会の理事を務めたり、アジア太平洋歯科連盟や国際歯科連盟の副会長を務めたりするなど、世界の歯科医療の発展にも貢献しました。
また、先生は東南アジアの文化や歴史にも深い関心を持ち、「生命の共有」「神秘のバタック族」「スマトラの夜明け」などの本も執筆しています。これらの作品には、戦争や異国での経験を通じて得た洞察がつまっています。
受賞歴と評価
総山孝雄教授の功績は高く評価され、
- 紫綬褒章(昭和58年)
- 国際研究者賞(昭和59年)
- 勲二等瑞宝章(昭和63年) など、多くの賞を受賞しました。
患者さんにやさしい歯科医療を目指して
総山孝雄教授は、「患者さんの負担を減らし、歯をなるべく削らずに守ることが大切」という考えを持ち続けました。この理念は、今の「歯をなるべく残す治療」や「予防歯科」の考え方につながっています。
感想 総山教授の歴史を紐解くと、歯科医師としての一面だけではなく歴史研究家としての一面が出てきました。我々、歯科医師の礎をきずいてくれたことにひたすら感謝です。特に「接着」という現代の歯科にとっても最も重要な部門を切り開いてくれたありがたい先生です。そして歴史研究家としての一面をみて、多面性に驚かされております。
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